大船駅前に大阪の串カツ店がオープンした(2017年11月)鎌倉に暮らす人の中には、鎌倉に大阪のチェーン店は似合わないのではないか?と言う人もいる。しかし、あえて反論したい。鎌倉に幕府を開いた源頼朝は大阪がルーツなのだ、と。では、なぜ源頼朝は鎌倉の地を選んだのか?都から遠く離れ山に囲まれた天然の要害だったのが理由の一つだが、鎌倉が源氏ゆかりの地だったこともある。
源頼朝を四代遡ると源義家である。義家は、武勇に優れた将として東国武士から尊敬を集めていた。また、義家の父は頼義、祖父は頼信で、彼ら三代はみな清和天皇にルーツをもつ清和源氏である。そして、頼義は鎌倉の豪族の女性を嫁に迎えたと伝わる。つまり、義家の母親は、鎌倉の地元ピープルなのだ。源氏三代は東国武士に強く支持されていた。だから、武家のアイドル=義家ブランドを源頼朝は、うまく活用したのである。
しかし、源氏三代がもともと本拠としたのは、河内国の壺井。現在の大阪府羽曳野市壷井である。同地にある壷井八幡宮は、三代を祭神とし、また八幡宮のすぐ近くに源氏三代の墓がひっそりと残されている(一番上の写真参照)
大阪の庶民派グルメの串カツが鎌倉に根付くのはある意味、縁あることなのではないかと筆者は思っている。やっぱりうまいもんはうまい。
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